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私と西藤ヒロノブの出会い その3

 大韓航空機撃墜事件をご存じだろうか。今から33年前、まだ東西冷戦の時代に起こった悲劇である。この事件は今だに謎の部分が多く、様々な陰謀説などが飛び交った。簡単にいうと、『1983年9月1日に大韓航空のボーイング747が、ソ連の領空を侵犯したために、ソ連防空軍の戦闘機により撃墜された事件のこと。乗員・乗客合わせて269人全員が死亡した。(Wikiより引用)』。実はこの事件の被害者に若い男女のカップルとまだ生まれぬ幼子がいた。真実を知れば知るほど辛い話だが、本来そのカップルは別の便で日本への帰国を考えていたのだが、飼い猫と一緒に帰るために選んだ飛行機が、その事件の飛行機だったらしい。そして若い女性のお腹の中に新しい生命が宿っていたことを、義理の母が知るのも30年後のことである。

 

 その事件を風化させないという趣旨で国富町のトトロの森で音楽界が開かれた。今から3年前のことで、そのコンサートに西藤ヒロノブと地元宮崎のジャズメンが参加して演奏をした。その時の演奏はのちにNHKのラジオ番組として放送され、高校時代の同級生がDJを担当した。今も録音を時々聴き直すが、ローカル番組にしておくのはもったいない出来である。番組のタイトルは『30年目の”F”~大韓航空機撃墜事件 追悼コンサート』となっている。今は仙台に転勤した、その友人は宮崎にいた間にいくつかジャズのいい番組を単発で作ってくれた。沖縄の与世山澄子を教えてくれたのも彼だった。おっとまた話が逸れそうだ。

 

 その時の話も自分のblogで2回に渡ってアップしている。第一弾は『実録レポート「トトロの森の小さな音楽会」 その1』。そして、『実録レポート「トトロの森の小さな音楽会」 その2』である。どちらもリンクを貼っておくので、興味を持たれた方は是非お読みください。また感想などのコメントを頂けると嬉しいです。

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私と西藤ヒロノブの出会い その2

続きを書くつもりでいたが、気が付けばもう11月15日。本番の西藤ヒロノブのコンサートは今週の日曜日。不覚、いったいどうなっているのだ、などとしらばくれているが、要は昔からの性格がトンと治っていない。小学校のころは夏休みに入ると思いきり遊びほうけて、8月の終わりに青ざめて宿題をやることが多かった。しかし、それでも学習能力はあるので翌年は7月21日にまず最初の宿題をやった。やったらなんとなくすべてやり終えた気がして放置。当然、8月末に泣くことになる。この性格は大学に行っても治らなかった。単位を落としまくったフランス語は、今年こそ単位を取るぞと参考書にカセット教材まで買ったら、例によってもう単位は取れたような気がして遊びほうけて気が付いたら試験が終わっていた。もちろん、単位は取れない。その時に歌ったブルースが”単位 is not on my side”である。

てなこと書いていると例によって本題に入れない。しかし、時間がない。苦肉の策で以前アップしたエントリーをコピペしようとしたら、偶然にも2011年の宮崎国際ジャズデイのサポーターパーティのエントリーを見つけた。リンク貼るので、そちらでどうぞ。「怒涛のライブ3連荘」

 

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