大野俊三ライブ・レポート
- 2016-10-12 (水) 5:22
- お知らせ
しかし、世の中で何が恐ろしいかというと思い込み、先入観、予断と偏見だ。この当たり前のことを今回のライブで思い知らされた。過日、宮崎国際ジャズデイの会議が終わって、さあ帰ろうとしていた時に実行委員長から全員ちょっと待ったの声がかかり、大野俊三というニュー・ヨーク在住のトランぺッターの来日公演があると聞かされたのは9月の下旬。場所はロックやブルース系のライブが多いニュー・レトロ・クラブ。ここは想い出の多いライブハウスで、学生時代に大好きだったバンドであるウシャコダの藤井君、恵副君(リトル・ジャイブ・ボーイズとしての来宮)の演奏を多分四半世紀ぶりに見た場所だし、こちらは何故か学生時代にライブを見る機会が何十回とありながら見逃していた(レイジー・ヒップをバックにしていた時に演奏が終わるちょっと前に銀閣寺のライブハウスで見たことはあったが)加川良のライブを2回見た場所でもある。そうそう、やはりニュー・ヨークに修行に行っていた地元の歌姫兼ユーフォニュウムプレイヤーの香月保乃を初めて見たのもここだった。おっと、今は亡き塩次伸二とウィーピング・ハープ妹尾のスペシャル・バンドもここで見た。ライブの後、楽屋で伸ちゃんにサインを貰い、大学の後輩だと名乗ったときの伸ちゃんの驚きようはなかったな、などという話はネバー・エンディング・ストーリーになるのでやめておく。もっとも最近の僕の悩みはウェスト・サイズ・フトーリーではあるのだが、ってこらこら場所をわきまえるように。ああ、良心様ポン(by 天才明田川)。
話が大きくそれたので、元に戻る。そういえば、昔、よく学校の先生、体育の先生が多かったけど、元に戻すことを「もといっ!!」と大きな声で言っていたが、あれは軍隊擁護用語だったのだろうか。などと考えだすとまた脱線するので、ここは大きな声で「もといっ!!」。ええと、要するに物事に先入観を持ってはいかんという話である。
大野俊三のライブに行くことになったはいいが、どんな音を出す人か事前に調べることを予習という。だいたい予習をしっかりやっておくと授業中に何かあってもたいていクリアできる。しかし、予習をしたことで油断をして肝心の授業を聞き洩らすと試験でいい点数は取れない。いや点数よりも授業内容の理解が浅くなる。それはさておき、大野俊三のサウンドは、先だっての会議の終わりに実行委員長がちらっと聴かせてくれたが、お、いかにもメロディアスなラッパだなと思ったくらいで特に強い印象はなかった。いや、実はつい最近トランペットでは痛い思いもしていたので、それで事前にあんまり調べようという気が起こらなかったのだが。
その痛い思いというのは、あれは毎月ではないと思うのだが、市立図書館のAVルームで時々レコードコンサートが行われる。高校の同級生であるY尾君から、その情報を教わり、最初に聴きに行ったときはジャズの入門編という形で、ビッグバンドからビバップ、ハードバップ、フリージャズと時系列に聴かせてもらった。演奏も選曲もなかなか渋くて、ヘレン・メリルとクリフォード・ブラウンのあの歴史的名盤から、あえて「ユードビーソーナイス」を外したのは、後でアート・ペッパーでかけるための布石だったなどと、聞き手を喜ばせる仕掛けも満載の楽しいイベントだった。真空管アンプにスピーカーも存在感がありすぎるくらいの重量級。いや楽しい2時間だった。そして、その続編がトランペット特集として後日行われた。前回がとても楽しかったので、今回も大いに期待して行ったのだが…。あの、ですね、トランペットを、様々なプレイヤーで2時間、延々と聴かされると、これは苦行以外の何物でもない。モノラルの時代からステレオの時代に入り、まあマイルスのあたりまでは楽しかった、それから先は、頼む、もうパツラは勘弁してくれ、おい誰かピアノ・トリオを流す心優しき人間はいないのかと半分泣きながら聴いた2時間ちょっと。しばらくトランペットはいいと思った。
そうはいうものの、宮崎国際ジャズデイのHPにもライブの告知をした以上、しっかり聴いてライブレポートをアップするのが人の道。もちろん予備知識なしで、全く白紙の状態でライブに臨むのもいいが、告知のエントリーをアップするのに、やはりどんな音を出すのか、YOU TUBEで探して直近のアルバム『月の光』の動画をブログに貼った。その時に何曲か聴いてみたのだが、イメージとしてはベニー・ゴルソン風の、アイ・リメンバー・クリフォード的なミュートを効かせてバラードをせつせつと吹く印象だった。余談だがタモリの名言にアメリカ人相手に「ユー・リメンバー・パールハーバー、バット、アイ・リメンバー・クリフォード」という名言がある。いつかロイクでもロイシでもいいが、モノホンのヤンキーと一緒に酒を飲む機会があったら僕もかましてみたい(笑)。
さて、当日。ライブ前の景気づけに地元で有名なセンベロ酒場、高砂でY尾君と待ち合わせ、生ビール片手にざる豆腐、鳥のもも焼き、卵焼き、あんかけ焼きそばなどをつまみに、もちろん黒霧のロックも頂きながらウォーミングアップ。時計を見たら19時を回っていたので慌ててニュー・レトロ・クラブに向かった。会場に入ると、すでに実行委員長や副委員長、その他の委員の方がいたのでごあいさつ。どうもどうもいやどうも、いつぞやいろいろこのたびはまた、まあまあひとつまあひとつ、そんなわけでなにぶんよろしく、なにのほうはいずれなにして、そのせつゆっくりいやどうも(by 高田渡)。しかし、予想以上にお客が少ない。ざっと見て20数名だろうか。最前列のテーブルはすべてエンプティである。こういう場合、我々は常に一番前の席を取る。音響うんぬんよりも、つねに最前線でプレイヤーを注視することこそ、ライブの醍醐味、ライブの現場参戦の意義があると勝手に思い込んでいる。
元ディスコだっただけに、天井でミラーボールは回るし、演奏前のBGMに寺尾聰の「ルビーの指輪」が流れたりする。まあ、あの曲は天才ギタリスト今剛が参加しているので許す。次はインストでビートルズナンバーが流れる。今からジャズのライブが始まるという雰囲気ではあまりない。それでも時間になったら、プレイヤーがステージに登場。バンマスの大野俊三の年齢は事前にチェックしていたが、バックのミュージシャンが全員若いのにちょっとクリビツ。簡単なMCの後、演奏が始まる。オープニングはジョージ大塚のグループにいたとき、彼がまだ若手時代の曲、「ゴー・オン」。うん、いい感じの滑り出しだ。
やはり、ミュートを駆使したバラード系が必殺技だなと思いながら見ていた。何しろ、同様の「おぼろ月夜」をしっとり噴き上げるし、彼のオリジナルの「Alone, not Alone」、同じく「easy does it」。などが続く。途中のMCも演奏者の人間性を表すような落ち着いたもの。あ、この人は人が良くていろんなミュージシャンに好かれたんだろうな。それでアート・ブレイキーやギル・エバンス、ウェイン・ショーター、ラリー・コリエルなどのバンドやレコーディングに誘われたんだろう、などと考えていた。しかし、ジャズの本場、ニュー・ヨークで生き残るには単なる人間性だけではないという当たり前のことをすぐに知らされる。宮本武蔵の生涯をテーマにした曲、「MUSASHI」で彼の凄さを見せつけられる。ちょっとフリー・フォームな力強い演奏に一発でやられてしまった。Y尾君は「これは80年代ブルー・ノートの音だ」と興奮して口走っている。
バック・ミュージシャンの紹介を忘れていた。キーボードは野力奏一。1957年生まれ。ジョージ・川口、本多俊之、山下達郎などのツアーに参加。その後はナベサダ、ヒノテルという日本のジャズシーンのレジェンド達のツアーにも参加している。なんとナベサダのあのラジオ番組「マイディアライフ」の音楽監督!!バラードで印象的なフレーズが多々あるのだが、この日はサウンドのバランスがあまり良く無く、音が小さく聞きにくいところがあった。MOTTAINAIとは、こういう時に使う単語だとワタクシは確信しています。ベースは1990年生まれの古木佳祐。若いなぁ~。バンマスの大野俊三とは過去にもセッションしており、本日もバンド全体をしっかり支え、それでもソロはきっちり取り、その存在感は、さすが「若き天才ベーシスト」と呼ばれるだけある。そして、なんとドラムは最年少の山田玲、なんと1992年生まれだ。ん、ちょい待ち、てことはベースとドラムは平成生まれだ!!!うーん。以前、宮里陽太のバックをしていたドラマーの海太郎も中学卒業後そのままプロになって驚いたが、この2人も若いだけでなく確かなテクニックと歌心を持っている。
今回のライブで、もちろん大野俊三のトランペットの凄さをしみじみ味わったのだが、もう一つの大きな収穫は、やはりドラムスというのは20世紀の音楽シーンで最高の発明だったという、これまた当たり前のことだった。この山田玲、なにしろ最初から最後まで叩きっぱなし。ドラムだから当然と思われるかもしれないが、いやそのパワフルさ、リズムの細かさ、そしてバンド全体をスィングさせる力。これはもう文句なし。途中でタムやハイハットを手でたたくしぐさが、どこかで見たなと記憶をたどっていって分かった。あの本田“ボンゾ”珠也のスタイルだ。受付でもらったパンフレットを見ると、やはりタマヤ氏に師事(他には猪俣猛、ジーン・ジャクソンなどにも師事)し、18歳でプロ・デビューとあった。よし、オレの耳は間違ってないと、ちょっとうれしかったな。
あっという間に2セット終了したが、観客から熱いアンコールの拍手が続く。20数名の客とは思えないくらいの熱く力強い拍手。再度、ステージに上がり演奏した曲は「Bubbles」。初めてニュー・ヨークに渡ったものの、仕事もはかばかしくないし、私生活も上手くいかない。落ち込んでハイドパークのベンチに座っていたら、子供たちがシャボン玉を飛ばして遊んでいた。その風景を見ているうちにメロディーが浮かんできて、もう少し頑張ろうという気持ちになったとこの曲のエピソードを話す姿は、2度のミュージシャンとしての危機を乗り越え不死鳥のごとく蘇った大野俊三の生きざまそのものだった。
余談だが、岐阜でTHIS BOYという音楽バーを経営している大学時代の同窓生がいる。今回のライブのことをFacebookにアップしたら、早速コメントが届いた。「大野俊三さん、きさくな人だよ!だって岐阜人だもん。数年前に話ししたことあるけど、うちの店には来た事ないですわ!岐阜のBAGUちゅうJAZZの店のマスター・猿渡さんと同級生!」。書き忘れたが、バックのメンバー紹介も丁寧だったし、自分の息子といえるくらいのベースやドラムにも丁寧にお辞儀している姿が印象的だった。
この手のエントリーを書いていて、毎回思うことだがジャズだろうがロックだろうが、ブルースだろうが、音楽はライブが一番。そして、そのライブの様子を文章に書こうとしても本来の素晴らしさの百分の一も伝わらない。やはり生で見ましょう。ということを書きながら、次のエントリーは「私と西藤ヒロノブの出会い」というテーマでアップします。ヨロシク!!!